小林豊 (アナウンサー)

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こばやし ゆたか
小林 豊
プロフィール
愛称 小林少年
出身地 日本の旗 日本 愛知県名古屋市緑区
生年月日 (1965-08-17) 1965年8月17日(58歳)
最終学歴 東京外国語大学外国語学部ロシア語学科
勤務局 TBSテレビ
部署 メディアビジネス局 海外事業開発部(担当部長[1][2]
活動期間 1989年 - 2019年
(TBSアナウンサーとして)
ジャンル バラエティー・情報
出演番組・活動
出演経歴JNN NEWS
サタデーずばッと
関口宏の東京フレンドパークII
アッコにおまかせ!
2時っチャオ!
土曜ワイドラジオTOKYO ナイツのちゃきちゃき大放送
ほか
備考
気象予報士防災士資格所持

小林 豊(こばやし ゆたか、1965年8月17日 - )は、TBSテレビ海外事業開発部担当部長[2][3]。元アナウンサー

気象予報士防災士の資格を保持していることから、アナウンサー時代の後期(2002年4月 - 2019年6月)に、全国向けのテレビ番組で週末の早朝に放送される天気予報を「気象予報士」という肩書で定期的に担当した。

1989年に入社、以来変わらない短髪と褐色の肌が特徴である。童顔で小柄な体躯から、アナウンサー時代は著名な子供向け探偵小説の主人公に倣い「小林少年」の愛称で親しまれた。

愛知県名古屋市緑区の出身で、趣味はサックス演奏、サーフィンスノーボード

来歴・人物[編集]

小学4年から中学1年までフィリピンマニラで過ごす。南山高等学校東京外国語大学外国語学部ロシア語学科卒業。在学時はフェンシング部に所属。1989年4月に東京放送(TBS、現TBSホールディングス〈TBSHD〉)にアナウンサー25期生として入社(同期は斎藤哲也小笠原保子福島弓子原山理一郎[4][5]

入社当初はTBSラジオの若者向け番組に出演することが多く、入社2年目に『スーパーギャング』のパーソナリティを務めた。テレビ宣伝番組『特番ナビゲーション』で第21回 '95アノンシスト賞テレビCM部門最優秀賞を受賞[6]する。1991年に『クイズ&ゲーム太郎と花子』 (フジテレビ制作全国ネット番組)の「フジテレビ対TBS アナウンサー大会」に、TBSアナウンス部の代表として出演する。

おはようクジラ』のリポーターに起用された1996年頃からテレビ番組へ頻繁に出演し、月曜から土曜まで週に6日生放送番組へレギュラー出演し、隔週月曜日に『関口宏の東京フレンドパークII』の収録に出演[注釈 1]した。

気象予報士取得以後、『みのもんたのサタデーずばッと』(および同枠内の『JNNニュース』、2009年度のみ『THE NEWS』)で天気予報を担当する。同番組が終了後は、日曜日早朝の『JNNニュース』気象キャスターを務めた。以上の番組紹介テロップで「気象予報士・小林豊」と表記した。レギュラー番組休演時や異常気象の発生時なども、ほかの番組へ気象予報士として出演はなかった。

スペインに「ピカソ刺青を入れてもらった人」を探しに行った際、自身が「ピカソに刺青を入れてもらった人」として地元メディアから逆取材された。2001年1月1日に北京から衛星生中継した日本・中国・韓国のアジア3か国共同企画『DOMINO2001』で、ドミノ倒しギネス世界新記録の実況に立ち会った。

レギュラー出演する『2時っチャオ!』を2008年9月に降板以後、BS-TBS冠番組や「TBSアナウンススクール」で講師[7]などを担当しながら、気象予報士として2019年6月23日まで日曜早朝の『JNNニュース』で天気予報を担当した。2014年度ナイターオフにTBSラジオ『OLERA』で木曜日の中継リポーターに起用され、ラジオ番組のレギュラー出演を再開する。2015年10月から通年放送の『土曜ワイドラジオTOKYO ナイツのちゃきちゃき大放送』で、生中継企画「小林豊のTOKYO潜入大作戦」でリポーターを番組開始当初から務めた。

2019年6月29日の『ナイツのちゃきちゃき大放送』出演中に、7月1日付で(=2日後に)アナウンス部から異動することを公表した。異動先は同日新設の部署で、アナウンサーとして「まさにこれで廃業ということ」「二度とマイクを持つことはないかと思います」「二度と喋るかよTBS」と、この出演を最後にアナウンサーを終えることを明言した。最後に赤坂サカスの中心で以下宣言[8]し、CM明けに共演者の出水麻衣アナウンサーと土屋伸之(ナイツ)がスタジオで号泣した[7]

小林豊、ここまでです。(アナウンサー)廃業です。 — 小林豊、[7]

7月1日にアナウンス部からメディアビジネス局へ異動したのちも『東京フレンドパーク』のスペシャル版などに「小林豊」名義で出演した。

TBSテレビ海外事業開発部担当部長。結婚式の司会や、TBSアナウンサー採用試験官なども務めた[2]

アナウンサー時代の出演番組[編集]

テレビ[編集]

ラジオ[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 2007年以降は、週6日の生放送レギュラーを持つアナウンサーも珍しくなくなっている。2012年10月当時では出水麻衣江藤愛佐藤渚が該当した。このほか久保田智子山内あゆ藤森祥平蓮見孝之岡村仁美ら(以上入社順)がこれまでに週6日の生放送レギュラーの経験がある。
  2. ^ 後継番組『報道LIVE あさチャン!サタデー』および内包番組の『JNNニュース』は、小林と担当曜日を交換する形で元井美貴が担当。
  3. ^ 日曜朝の担当は『草野満代の朝なま報道局』終了から半年ほど経過後に元井美貴に交代して以来となる。
  4. ^ 2019年7月1日は『ノーサイド・ゲーム』の担当。同年10月6日は『グランメゾン東京』の担当。
  5. ^ 安住紳一郎の日曜天国』枠で放送された正月特番。

出典[編集]

  1. ^ みやぎ絆大使からのお祝いメッセージ宮城県150周年記念特設サイト
  2. ^ a b c 現TBS海外事業開発部担当部長であり、TBSアナウンサー採用試験官を務めた小林豊氏が、面接攻略のワザ・話し方を指南!
  3. ^ 東京フレンドパーク 木村拓哉VS福士蒼汰VS波瑠 3ドラマ主演が大激突![字 | TBSテレビ]FELLOWS Inc.
  4. ^ 東京放送 編「III 放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、239頁。"1989.4<25期生> 5人入社(男3・女2) 小林豊 斎藤哲也 小笠原保子 福島弓子 原山理一郎(一般職採用)"。 
  5. ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、30-31頁。"89.4<25期生>5人入社 小林豊 斎藤哲也 小笠原保子 福島弓子 原山理一郎…(一般職採用)"。 
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、31頁。"小林豊… R「スーパーギャング(90)」「土曜ワイド ハッピーTokyo<リポーター>(90)」「ヤンアナジョッキー(92)」「サンデー・エステティック・ミュージック(92)」「NEXT STAGE(93)」「恋する電リク、ビンゴボンゴ(94)」「YO!HO!(95)」「BEAT NAVIGATION(96)」 TV「噂の東京マガジン(89)」「DUNK(93)」「東京フレンドパークII(94)」「ニュースの森<新・噂のなんじゃもんじゃ>」「おはようクジラ<リポーター>(96)」 ★「特番ナビゲーション」<第21回 '95アノンシスト賞 テレビCM部門最優秀賞受賞>"。 
  7. ^ a b c d TBS小林豊アナ「廃業です」異動前ラストあいさつでナイツ土屋&出水麻衣アナ号泣”. オリコン (2019年6月29日). 2019年6月29日閲覧。
  8. ^ a b これが聴き納め! TBSアナウンサー小林豊がお送りする最後の生中継! リスナーの皆さんへ、そして後輩アナウンサーたちへ”. TBSラジオ (2019年6月29日). 2019年6月29日閲覧。
  9. ^ a b c d e f g 東京放送 編「III 放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、239頁。"小林豊『BS「TIME OVER(2000)」担当』 R「スーパーギャング」「YO!HO!」「BEAT NAVIGATION」 TV「DUNK」「ニュースの森<噂のなんじゃもんじゃ>」「エクスプレス」"。 

参考文献[編集]

  • 東京放送 編『TBS50年史』東京放送、2002年1月。 

関連項目[編集]